こんにちは。
夫婦で美味しいものを食べる目的の月一度の旅行、2月は鹿児島へ行きました。
鹿児島観光では、知覧特攻平和会館を訪れました。
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かつて特攻隊の出撃基地であった知覧特攻基地跡へ
知覧飛行場は、陸軍の飛行学校として作られましたが、第二次世界大戦末期の沖縄戦で、飛行機もろとも敵艦に体当たりする特攻隊の出撃基地でした。
この知覧特攻基地跡には、知覧特攻平和会館を始め、多くの戦争関係施設が残っています。
平成19年に公開された映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」で忠実に復元された陸軍戦闘機です。
こちらの映画は、当時東京都知事の石原慎太郎が製作総指揮と脚本を手掛け、戦時中の史実に忠実に作られた作品だそうです。
特攻勇士の像「とこしえに」、この作戦で亡くなった特攻隊員は17歳から32歳、 平均年齢21.6歳だったそうです。
沖縄戦での特攻隊員戦死者の数は1036名、国のために多くの若い命が失われました。
こちらは、特攻隊員達が出撃までの数日間を過ごした宿舎の三角兵舎です。
飛行場周辺の松林の中に散在していて、半地下壕を作り、屋根には杉の幼木を被せ、敵機に見つからないように偽装してありました。
各地から集まった隊員は2〜3日後には沖縄の空に飛んで行ったそうです。
出撃の前夜はこの三角弊社で走行会が行われ、家族や母に別れの手紙を書いたそうです。
そんなに過去の話ではありません、ほんの80年ほど前の話です。
知覧特攻平和会館で平和を願う
知覧飛行場跡地に建てられた知覧特攻平和会館は、特攻作戦で戦死された隊員1036名の遺品、記録等の貴重な資料が保存・展示されています。
館内には知覧飛行場の歴史展示物、基地の模型、その他展示物の多くは、特攻隊員が家族に残した手紙などが占めます。
視聴覚室では、語り部さんの講話もあり、知覧飛行場の歴史、特攻作戦の概要、特攻兵達のお話などを聞くことができます。
当時特攻隊員のお世話を担当した女学生達は「なでしこ隊」と呼ばれ、「隊員さん達に絶対に涙を見せるな」と教育をされたそうです。
特攻隊員が爆弾を抱えて飛び立つ直前も、手にした桜の枝を笑顔で振って見送ったそうです。
この飛行機は、旧海軍の主力戦闘機として使用されていた零式艦上戦闘機52丙型です。
鹿児島県甑島沖合に、エンジントラブルにより富士着水し、推進35mの海底に沈んでいたものだそうです。
平和会館はほぼ撮影禁止区域なのですが、一部札愛可能な展示物もあります。
あっという間に2時間ほどが経ってしまいました。
じっくりと観覧する価値がある記念館です。
隣接するミュージアム知覧で南薩摩の文化の歴史を知る
隣接するミュージアム知覧は、知覧平和会館との共通観覧チケットで、プラス100円で入館することができます。
南薩摩の民族や武家屋敷や知覧城、薩摩隠れ念仏などについての展示があります。
こちらも十分に楽しめました。
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鹿児島知覧観光感想
歴史を学んでいくと、当時の戦争に向かう思想の恐ろしさを感じます。
人間は簡単に死んでしまうということを感じると、だからこそ大切に生きようという気持ちが湧いてきます。
広島原爆記念館、沖縄ひめゆり祈念資料館とともに、ぜひ足を運んでもらいたい場所だと思います。
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