こんにちは。
久しぶりに友人とお茶してきました。
私がお菓子教室をしていた頃からの友人で、数ヶ月おきに「自分は自分が望む人生を送れてるか」なんて話をお互いの近況報告を交えながら話せるような友人です。
彼女は最近また新たにやりたいことが見つかったそうで、毎日を充実した気持ちで過ごしている様子を楽しそうに話してくれました。
その友人はいつも私に何かしらの気づきになるようなものを投げてくれるのですが、今回は「このままでいいのかな」と人生に迷いを感じている私に1冊の本を勧めてくれました。
本を読み始めて最初は「時間の効率的な使い方の本ね、ま、今の私には自由に使える時間ばかりだけどねー」なんて思って、深く考えもせずにさらーっと読み進めていたのですが、最後になって時間を無駄に使ってはいけない本当の意味を知ったのです。
結局のところ時間を無駄に使わない、時間を自分のやりたいことに投資するということは、後悔しない人生を送ること。
そんなことは50歳を過ぎたあたりからはっきりと感じていてそれなりに行動してきたつもりだったけど、それでもまだ時間を無駄にしていたことに衝撃を受けてしまいました。
人間は大きな病気をしたりすると自分の命の残り時間を意識するようになるというけれど、年齢を重ねるのも同じですよね。
50を過ぎて「私はあとどれくらい生きていられるだろう」と自分の人生を「残り時間」と考えるようになりました。
この本の中でもありましたが、残りの人生を具体的な数字に表してみるともっとはっきりと残り時間が見えてきます。
女性の平均寿命を85歳として現在の私の年齢は54歳だから残りの人生は34年。
34年でも少ないと思うけど、1ヶ月を4週間として34年で1632週間と考えると確実に死へ向かう時間が迫ってきてる感じがします。
34年はあくまでも平均寿命生きることができた場合で、何かの病気になったら寝たきりということもあり得るし、癌にかかって手遅れの場合はもっと短くなることだって考えられます。
「時間が経過する」とは「命の残り時間が減っている」と考えると、今やらなきゃいけないことが見えてくる、かと思ったけれどそんなに簡単なことでもありません。
これがやりたいことだったかと思って始めたことでも、途中でやめたり方向転換したり。
楽しいと思ったことが楽しくなくなったり、反対にこれは嫌だと思ったことを望むことだってあります。
50歳過ぎたら好きなことだけしようと思ったけれど、好きなことをしても充実した人生を過ごせるわけではないということにも気づきました。
人間暇な時間があるとしょうもない欲に走りがちですね、怠惰欲や快楽欲だったり物欲とか。
なんとなく見ているテレビや暇つぶしの動画視聴、隙間になんとなくスマホを眺める時間、暇だから参加する飲み会や食事会などは「時間の浪費」です。
自分の得たい結果につながらないことはすべて「時間の浪費」です。
リラックス時間といいながらダラダラ過ごす時間も本当に心からリラックスできてリフレッシュ時間になればいいけれど、罪悪感を感じるようならそうとはいえないし。
本人が心から幸せを感じている行為なら個人的にはそれもありかなとも思いますが、自分はそうではなかったな。
時間を無駄にしない使い方として、自分の得たい結果をはっきりさせる必要があるそうです。
確かにそれがわからなければ、忙しい場合は目の前のことだけこなす人生になるし、時間を持て余してる場合は充実した人生を送ることはできません。
自分の得たい結果=ゴールと考えれば、ゴールなき時間経過はただの漂流なんだそうです。
最初に考えなくちゃいけないことは、残りの人生を後悔なく充実した毎日を送るためにやりたいことを見つけることですね。
それが自分の得たい結果につながる。
そのためには今よりもっと行動すること、その行動が間違いであっても行動しないよりずっと良い気がします。
そして結局は自分のことは自分で幸せにしないとだめ。
夫が子供が誰かが自分を幸せにはしてくれないし、自分の幸せを誰かに託してもいけません。
なんて言ってますが、自分はわりと人に依存しやすいタイプですね、いやだいやだ。
この本を読んで改めて自分の残り時間は確実に少ないと意識できました。
最近のんびり過ごしてるけど、そういえば私は昔から無駄なことが大嫌いでしたわ。
やりたいことだけやって、楽しいねー、良かったねー、だけじゃ物足りない、とにかく死ぬ時に後悔だけはしない人生を送れるようにしようと強く思うきっかけとなりました。
もっと早く気づけば良かったとも思いますが、今が人生で一番若いんだから。
今からでもやらないよりマシですね。
本を勧めてくれた友人に感謝です。
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